


2004年12月6日
個人事務所"ビッグマウス"設立を記者会見で発表。同時にK−1と武藤敬司(全日本プロレス)の間で行われた"WRESTLE-1"の名称を使いプロレス興行をおこなうことを発表。



2005年1月22日
上井文彦、前田日明が記者会見。「本当のストロング・スタイルを作りたい。総合でも通用するプロレスラーを作りたい」という上井文彦の言葉に前田日明氏が協力を約束。



1月25日
柴田勝頼が新日本プロレス退団を決意。



2月8日
柴田勝頼がアントニオ猪木に新日本プロレス退団の挨拶。



4月16日
リキプロのリングを借りて前田日明、上井文彦が挨拶。村上和成が長州力を襲撃。



5月14日
新日本プロレス東京ドーム大会を視察。新日本側は来場拒否をしたが新間寿氏の令で入場。飯塚高史がビッグマウスに対して抗議する。



5月22日
柴田勝頼が正式にビッグマウス所属選手となる。



6月5日
リキプロ後楽園ホール大会で村上和成、藤原喜明組が長州力、エンセン井上組と対戦。試合後、柴田勝頼が長州力を襲撃。



7月4日
リキプロ大阪大会で木刀持参で柴田勝頼が長州力を襲撃。



8月4日
WRESTLE−1で柴田勝頼が秋山準、村上和成が天龍源一郎と対戦。結果は両者共に負け。



8月8日
ビッグマウス旗揚げが決定する。



8月10日
ビッグマウスラウド設立記者会見。村上和成が代表取締役に就任。横峰さくらの父、朝青龍全国後援会会長らが支援をする事を発表。併せて木戸修の復帰を発表。
村上代表は「柴田はプロレス界の宝。選手に専念させる。ビッグマウスラウドは新しいプロレスの実験室。やりたいことは1つ。戦いがなければはじまらない。昔あったプロレスに戻したい」と覚悟を決めた。



8月14日
柴田勝頼が長州力のラリアット7連発で負ける。村上和成、藤原喜明組は石川雄規、エンセン井上組から勝利。



8月24日
旗揚げ戦メーンが反則なしのルールで村上和成 対 柴田勝頼に決定。



9月11日
後楽園ホールでビッグマウスラウド旗揚げ。村上和成が柴田勝頼をPKで破る。
前田日明が船木誠勝をつれてビッグマウスラウドに参加。船木誠勝は全面協力を約束し復帰も示唆した。



9月18日
村上和成がバトラーツで石川雄規と対戦してTKOで勝つ。
プロレスリングNOAH日本武道館大会でKENTAと柴田勝頼が共闘宣言。



10月6日
リキプロ後楽園ホール大会で村上和成が石井智宏をパンチでKO。柴田勝頼・筑前りょう太組が石川、エンセン組に負ける。
船木誠勝氏がビッグマウスラウドのTシャツを着て柴田のリング上での動きをチェック。



10月11日
村上和成がDDTプロレスに参戦。高木三四郎とタッグで対戦。



11月5日
プロレスリングNOAH日本武道館大会でKENTAと柴田勝頼がGHCタッグ王座に挑戦するが結果は負け。



11月11日
ビッグマウスラウド第2戦、後楽園ホール大会決定。



11月12日
池田大輔の風天で村上和成、臼田勝美組が池田大輔、本田多聞組と対戦するも負ける。



11月17日
新日本プロレス東京ドーム大会で村上和成 対 永田裕志、柴田和成 対 棚橋弘至が発表される。



11月18日
後楽園ホール大会カード発表の記者会見で、新日本についての質問に対して村上和成代表「先にケンカを売ったのはこっちなのでやらせてもらいます。ビッグマウス・ラウドのリングをまたぐなら命を賭けて来い。」上井文彦代表も「自分たちがリアル新日本」と新日本と交戦する事を示唆。



12月4日
プロレスリングNOAHでKENTAと柴田勝頼が三沢光晴・潮崎豪組と対戦。柴田勝頼は2005年初勝利。



12月17日
アントニオ猪木氏の許可が下りたため、魔界倶楽部総裁だった星野勘太郎氏がビッグマウスラウドをバックアップする事を宣言。



12月18日
村上和成、臼田勝美組がバトラーツで石川雄規・竜司ウォルターズ組に勝つ。



12月29日
ビッグマウスラウド第2戦で、村上和成は因縁の相手エンセン井上を倒して試合後に共闘を宣言。柴田勝頼は2005年MVP小島聡と対戦。結果は負け。
臼田勝美が正式にビッグマウス・ラウド所属になった事を発表。



2006年1月4日
2005年5月に東京ドームで喧嘩を売った新日本プロレスと対抗戦。村上和成が永田裕志に負ける。柴田勝頼が棚橋弘至に勝つ。



1月6日
前田日明氏が東京ドーム大会の結果を踏まえた上でビッグマウスラウドに対して批判。スーパーバイザーを務めていたが辞職を一方的に発表。



2月26日
ビッグマウスラウド第3弾、徳島大会開催!
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